top of page
検索
  • 執筆者の写真Mayo I

「これで会うのが最後だとしたら」

子供が何かをせがんできたとき。

旦那さんを朝送り出すとき。

姉が遊びに来て、家に帰っていくのを見送るとき。

両親が、食事に出掛けるのを見送るとき。


大袈裟で引かれるかもしれませんが、私は「これで会うのが最後だとしたら」というのが

毎回頭に浮かびます。


子供が「この飴ちゃん食べたい!」と言って、私が開けるのがめんどくさいから「ダメ!!」と答えたその直後、たとえば地震が起きて会えなくなってしまったら。

お墓の前に飴ちゃんをいくつ供えても、自分責めは止まることはないでしょう。


ほんの些細なことがきっかけで喧嘩したまま、朝、旦那さんが仕事に行き、現場仕事で事故にあったり、通勤途中に交通事故に遭ったら。

あの時謝っていれば、と何度後悔しても戻らない。

(実際、最近「今から入院して手術することになったから」と突然言ったことがありました。4日後には元気に退院しました^^)


姉や両親も同様です。





地震や事故、急病(コロナ然り)などで、これが会うのが最後、なんて誰にもわからない。

これから何十年も共に生きるかもしれない。

でも、悲しいことが起こらない、とも保証できない。


毎日起こるかわからないことを恐れながら生きているわけではありません。


今まで、大切な存在と悲しい別れを何度か経験してきて

今目の前にいる大切な人と、一緒に過ごしている時間や空気、会話を大切に、愛おしんで、楽しみたい。と思うようになりました。


そして、毎日のことでも「いってらっしゃい」「さようなら」のときは、「今の状態のまま帰ってきてくれますように」「また笑顔で会えますように」と祈っています。


私は「悲しみ」という胸が張り裂けそうな苦しい感情が本当に苦手でして。

次「悲しみ」に出会うことになったとき、せめてその感情に「後悔」が入らないようにしたい。そんな気持ちから、こういう思考の癖があるのかもしれません^^

閲覧数:14回0件のコメント

最新記事

すべて表示
bottom of page